心中寫 (2004/11)
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2004/11/26(fri)



学ぶべきものがたくさんあると実感するのは不安だけど幸せな状況だと思う

2004/11/23(tue)



薄暗くなりだしたころに散歩した。公園で父親と2人の子どもが仲良く遊んでいた。父親を見ては将来の自分を妄想し、姉弟をみては昔の自分を思い出した。幸せそうだった。

2004/11/22(mon)



 人と人はどこまで分かり合えるのでしょう。脳は具体的な経験から学ぶようにできているので、経験が違えば別々のことを学ぶ。当然のこと。もちろん外的世界にはある程度、基本的なレベルのルールが存在するので、そういうレベルのことはみなの共通認識として学習されるだろう。だからそのレベルの範囲内では共感は成り立つだろう。でもより複雑なレベルになると、外的世界に対してどう対処するのかといった選択肢が多数存在するようになり、そのどれを選択するかという問題を解決するために、個々人が自分なりのルールを学習していく。なので、そのレベルの認識について共感を求める場合には限界を感じるもの。おそらく人が共感を求める場合には、その自分が選んだルールが確かなものであることを認識したいという動機も働くのであろうから、この共感の得にくいレベルで共感を得ようとすることが多くなるのだろう。やっかいなものだ。
 経験が違うことからそのような厄介さが生じるのだから、案外、共感を得ることのもっとも妥当な選択肢は“経験を共にすること”かもしれない。でももちろん、それまでの経験が違えばそれにも限界があるだろうし、修正されることの可能なレベルのルールとそうでないルールがあるだろう。その見極めもすごく難しいと思う。そしてまた、ここで厄介なのは、やっぱりその修正されにくいルールについて共感を得たいと思うことのほうが多いのではないかということ。共感って何で必要なんだろう...
...考えるのがやになった。長年連れ添った夫婦にインタビューしたい気分だ。

2004/11/10(wed)



私のやっている研究分野は大きめにいうと社会的認知というものに入るようです。実験は基本的に被験者さんに言語的な質問を投げかけ、それを処理している際に何をしているかを調べるといったものです(例:あなたの性格にあてはまりますか...やさしい)。何をしているかを調べる際にパラダイムを工夫することはあります。でもバリバリの認知心理学みたいに、課題を操作することで巧みに被験者の行っている処理を操作するといったことはあまりやっていません。でもそういったものもすごく面白いと思うし、私の興味を持っているテーマに関しても、いずれそのような手法によって取り組まなければならないとは思っています。

また、これまでの私は問題に解答を出すことを主として行ってきたような気がします。しかし、今後、これに加えてやっていきたいこととしては、問題を具体的に提示できるような現象やその現象を示すために必要な方法を示すことです。もちろん、その場合でも、自分が解決したい大きな問題に結びつくものであることが前提です。

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これまでの議論の場では、特定の研究の穴を探すことはやってきてもその解決法まで考えて提示することはあまりやってこれなかったような気がする。そこまで示せるようになろう...

2004/11/04(Thu)



私は英語は苦手です。でも論文はなるべく英語で書かないと読んでもらえる人が減るので、がんばって英語で書こうとしています。しかし英語だと表現力の限界のためになかなか複雑なことを分かるように表現することができません。そこで簡潔に書こうとすると、十分に読者に配慮した丁寧な文章にならず、「ここまで読んでいる人にはもうこのことはわかっているだろうから・・・」と妙に説明の飛ばされたような文章になってしまったりします。そんな妙なトレードオフに悩まされないぐらいの英語力がほしい...

雑な文章書くようになってはいけませんね。伝えることの大切さと難しさをしっかり意識しておかないと... 被伝達者の気持ちになって書くことを忘れないようにしよう。

2004/11/01(mon)



私は理論的に価値のある研究をしたいと思っていますが、理論で勝負する(論文にする)のはそれなりに難しいです。論文になりやすさで言えば、データとして価値のあるものが論文になりやすい気がします。誰でも思いつきはするがなされていないことを探すことのほうが効率的に業績をためれることでしょう。でも、そればっかやって味を占めちゃうと、長い目で見た場合つまらない研究者になってしまう気がします。結局、独自な何かを残せたという感がなく、研究者としてはむなしいのになってしまう気がするのです...。かといって理論的なことばかりにこだわっていても、いきなりそれで論文にできる人ってのはほんの一握りの人だろうし、私はまだそのレベルに達せてはいないので、先に進めなくなってしまう。もちろん理想では両方あった方がいいけど、なかなか難しいものです。でもその二つは実はそんなに区別できるものでもないだろうから、両立は可能でしょう。とりあえずは、生き遅れないない程度に理論的な面白さについて十分意識しつつ、データとして価値のあるものを残していくくらいのほうが、データの価値のみで満足するよりましかも。私の場合。

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認知心理学会の独創賞の評価基準は参考になる

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