2005/10/16(sun)
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理論を形成する際には,その理論が説明できる範囲をしっかり限定する必要があります。視野を広げれば広げるほど,説明できないもののほうが多いことが分かるからです。もちろん,様々な事象をなるべく少ない理論によって説明できるような理論が立派ですから,視野を広げてみていく必要があります。しかし,それも一歩一歩だという気がします。とりあえず範囲を限定した上で理論化とその理論の精緻化を行い,次にそれ以外の範囲の事象にまで広げて修正を加え...というプロセスがいるような気がします。(ちなみに人間には自分の持っている理論にあう外的刺激を選択するバイアスがあるといわれております。気をつけねば...)。多くの理論が,最初は単純でも,検討が進むにつれて複雑化していくのはそのためでしょう。まあ,真理をついたような理論をいきなり思いつけるような才能や運があれば,そんなプロセスは必要ないのかもしれませんが... でも,そんな真理を突いたような理論ではなくても,範囲を限定した上で,ある程度 単純性と新規性を備えていれば,何らかの形で学問社会に貢献できるものだと思いたいですね。
我々は意識している・していないにかかわらず,個々に何らかの理論(価値観,基準)を持って,行動を選択しています。社会的動物である人間は,その理論の多くが,社会的な行動選択に必要な理論であると思われます。そのため,人とのコミュニケーションや,人の観察を通して,その理論は修正されます。その際,様々な理論(いろんな人の価値観)を受け入れ,広い視野をもった理論にしようという努力をする人もいます。その姿勢はすばらしいことです。しかし,そのことを第一の目標にしてしまうと,相当の才能や運がない限り,安定した理論を形成することができず,行動選択がうまくできないことになります。その状態はおそらく,心の病気の1分類に含まれるものでしょう。とりあえずは,範囲をしっかり限定した上て,自分の理論をまとめることが大切です。
何にしても,優れた理論を形成するというのは難しいものです。理論の精緻化を行わないうちから,適用範囲を広げようとすると拡散するだけだし,その理論にとどまっていてもしょうがないし。適切に開け閉めできる扉が必要ですな。鎖国も長すぎなければ日本文化のためにはプラスです。そう考えると,人の理論をそのまま輸入するほど楽なものはありません。しかし,その理論では説明できない事象に出会ったとき,輸入に頼っている人は,自分で理論を適切に修正することができないでしょう。
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