心中寫 (2005/11・12)
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2005/12/07(wed)



 昨日,第二次審査会がありました。自分なりにがんばったと思うのですが,うまくいったのかよく分かりません。話の内容はちゃんと伝わったのだろうか...受け答えできていたのだろうか...
 夜は慰労会をしていただきました。本当にありがとうございました。でも2次会に向かう途中に,体調が急変!家に送ってもらうやいなや,下すわ,吐き気はするわで,大童でした。薬飲んで,しばらく寝ていたら,大分回復したのですが,煮え切らなさと淋しさでいっぱいになりました(ToT)。
 ちなみに,ある集団で年長者になればなるほど,的確なフィードバックを受けることは難しくなります。また若年者であれば,適切な評価を受けにくいこともあるでしょう。いずれにせよ,自分で自分を的確に評価してそれを信じ,学習していく能力というのがある程度重要そうですね。

2005/11/19(sat)



言うまでもなく,何をなすにも労力を惜しんではいけない。
でも,そのことだけを拡大解釈し,労力さえ惜しまなければ,いずれ何らかの報酬を得ることができると考えている人がいる。
労力を惜しまず行動している→努力している→いつか報われる,という単純思考。
そういう人に限ってメタ努力(必要な努力とは何か,努力を報酬に結びつけるにはどうすればよいか,について考える努力)をしていない。

(もちろん,報酬といっても,社会的に最も受け入れられやすいような基準に沿って得ることのできる単次元的報酬ばかりではない。)

人のメタ努力による結論を輸入して,報酬を得ることもできるから,何にしろ報酬を得られさえすればよいというこだわりのない人は,そうすればいいんじゃねぇか?

2005/11/17(thu)



相手のことを考えずに,相対的な有能感を得るために教育を利用する人間は下だ。

2005/11/15(tue)



いい意味で変わり者でありたいですな。
常識と現実しか語れない人には惹かれないし,
お利口な学者なんてつまんないでしょ。

2005/11/13(sun)



大衆は自分の理解力のなさを棚上げして,理解できないということを理由に伝達者の批判に走るものです。伝達力のなさの批判ならともかく,理解できていないはずの内容まで批判する。伝達者・被伝達者,どちらになるにしろ,気をつけねば...

2005/11/12(sat)



最近夜すんなり眠れない。おかげで生活リズムが狂い放題。昨日もなかなか眠れなかったもんで,睡眠薬飲んでねた。でもおかげで大爆睡。研究会にでそびれてしまった。ショック(´□`;) 薬に頼ったのが運の尽き...

2005/11/12(sat)



 私は自分で自分を,賢い生き方のできない人間だなぁとつくづく思う。頭でっかちなんだよ。頭でっかち。
 環境からの入力と,経験や推論に基づく内的に形成されたルールとのせめぎあいにどう折り合いをつけるのか,という点についても内的に形成されたルールが影響するわけだけど,私の中でのそのルールというのが,どうも自分のルールを選択しやすいようにバイアスをかけるものであるらしい。どうせなら徹底して,ルールに合わない環境からの入力はなるべく早い段階で無視できるようになってしまえば楽なんだろうけど,そこまで徹底してもいない。まあ,変化する環境への適応も一応気にかけているということなんだろうけど。おかげで,生き方の下手な頭でっかちであることを意識しつつ,でもやっぱり環境よりも自己のルールを選択した方がいいと結論してしまうのだよ。
 そんな素直じゃないやっかいなルールの持ち主である私は,そのルールを正当化する理屈も同時に保持しないと,なかなか幸せにはなれないわけだ。しかし,その理屈を装備した途端に,環境からの入力が無視されては命の危険にさらされる。それでは困る。最低限の適応を成し遂げるだけの環境からの入力へのバイアスは保っていなければならない。そのような理屈があるのかと思いを巡らしても「少々生き下手でも,学者は持論を持ち続けるくらいの方がちょうどいい」という,何とも根拠の薄い格言めいたものしか浮かばないわけ。まあゆっくり考えますわぃ。
 ちなみに,自分のルールに磨きをかければかけるほど,そして自分のルールを強めるような経験を積み重ねるほど,そのルールというものは強固になるのだけど,環境に劇的な変化がない限り,後者はこのような悩みを持ちつづけることはないのだろう。こう考えると私は前者なのかもしれない。でも自分のルールが変化することの快感も私は知っていると自負している。とはいっても,なかなかルールをぶつけあう機会というものはないもの。もちろん,そのような機会は作ればいい。だが,強固なルールを持っている者ほど,そのような機会には周囲を傷つけることになり,その機会を求める行為は報酬的ではなくなる。そうして,ルールが更新される機会は減っていく。大人の態度の完成だ。

2005/11/10(thu)



以下,「知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦」の序論より引用。

 学問というものは,あらかじめ与えられるものではなくて,自らの興味や関心に合わせてダイナミックにつくり上げてゆくものだ。つくるためにはもちろん既存の学問をたくさん取り込んで,自分の中でリンクを張る必要がある。(中略)
 もちろん,うまくいくという保証はない。だが,努力して考えることでいろいろ新しいものが見えてきそうだ,という希望は大切だ。研究者たちを駆り立てているものもその希望である。それに,一つだけ確かなことがある。
 そう考えた方が,今よりもっと楽しくなるはずだ。

2005/11/07(mon)



イメージ イメージ 進むイメージ 
イメージ イメージ 伸びるイメージ
イメージ イメージ .... ( ̄ヘ ̄;)
イメージ イメージ .... ( ̄◇ ̄)

2005/11/06(sun)



大した理由や根拠がなくとも,ある行動を皆で共有し,意味を付与し,それを楽しむ。それが文化だ。

2005/11/06(sun)



孤独=淋しさ と思っているうちは幸せだ

2005/11/05(sat)



迷った末の迷わぬ強さ

2005/11/04(fri)



新たなスタンダードになればいい

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