心中寫 (2006/7)
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2006/07/30(sun)



人と議論をするときには,論理的な物言いをするように心がけます。まあ,それは当然です。それがないと議論が成り立ちませんから。しかし,それだけでは不十分な場合もあります。論理以前の前提が違っている場合です。そういう場合には,論理的に議論することが実を結ばないことがほとんどです。

 研究室のゼミ等での議論であれば,論理的な物言いをすることさえ心がけていれば,自分の言っている内容は相手に伝わります(その内容があっているにせよ,間違っているにせよ)。それは,ある特定の研究分野で共有された前提,コンセンサスがあるからです。

 逆に,自分の価値観や,周囲の人間の行動,政治などについて議論する時には,論理的な物言いをするだけでは,言いたいことは伝わりません。いくら論理的に語っていても,こちらの前提を相手が持っていなければ,論理的に組み立てた話など,無に等しいからです。そういう議論自体に価値をおいていない相手であれば,なおさらです。同じ土俵にさえたってもらえず,理屈っぽい,うざい,などといわれるのが関の山でしょう。
 
 だから高等教育は難しい。論理でない前提に訴えかける経験をプロデュースするしかありませんが,それは大変な労力だし,困難なことです。もちろん不可能ではありませんが。。。基本的に,議論の際の前提となる価値観,基準を与えるのは,幼少からのしつけでしょう。

 内側前頭前皮質はそれらの表象に関わっていると思っているのですが,どうでしょう。。。

2006/07/27(thu)



 心理学者であれ・・・政治家であれ・・・教育者であれ・・・専門家にとって大事なのは,当たり前の・素朴な・まともな,ものの見方・考え方・感じ方・・・立場を忘れないことなのでしょうな。

2006/07/16(sun)



教えられること,教えてもらえることなんて限られたもんです

2006/07/16(sun)



小さな出来事(原因)から戦争(結果)になり,単純な法則から複雑な現象が生じる。単純な法則によって,それから生じる複雑な現象を演繹できることもあれば,できないこともあろう。それらの違いはそこに創発があるかどうかの違いだ。創発が介入しているかどうかの見極めは難しかも知れないが(おそらくネットワークが介入してるかどうかだけど),下位の階層の知見に還元すればいいってもんでもないことはわかる。還元の試みも重要だが,創発の過程を目の当たりにできたときの方が,私の場合,感動は大きい気がする。

2006/07/15(sat)



ここじゃないどこかばかり求めるとか,
外国から来たものを,考える前に崇めるとかいう
よくある傾向にはうんざりっす。

2006/07/07(fri)



 先月は,ほぼ一月かけて,共著者の友人の力も借りつつ,レビュー論文の修正を行いました。日本語ですが,初のレビュー論文で,思い入れがあります。この論文の目的は,単なる実験論文のレビューではなく,自分の仮説を主張するというものでした。
 仮説の独自性に関しては,査読者も認めてくれていたようなので,ほっとしたのですが,「展望論文としては引用する論文の数が少ない。もっと仮説の説得力を増すような文献を増やすように。」という旨のコメントを頂きました。つまりは,レビュー論文として一番言われてはいけないことを言われてしまったのです(^^;)。
 でも,何とか,そこも補えたのではないかと思っています。勉強になりましたし,仮説の傍証としてあげることのできる文献も発見できました。今回は査読者に恵まれた気がします。コメントをそのまま受け入れて修正することで,論文の質が大幅に向上したと思えるからです。今回の査読者の方は相当な方だったのではないでしょうか。
 私はこれまで,査読者に上手く自分の意図が伝わらずに,いらつきを覚えることが多かったのですが,日本語というのもあってか,今回はそのいらつきもありませんでした。あとは祈るだけです。

 今月は,この仮説の検証をした実験の結果を論文にしようとしています。卒論で失敗して以来のERP実験なので,慣れない論文化作業ということになります。まあ,焦らずゆっくり書こうと思います。自分の英作文能力のなさのために,内容を正当に評価してもらえないという壁を,なるべく早く乗り越えたいです(-_-)

2006/07/06(thu)



 自然の様々なレベルで,ある程度のまとまりを持った存在(個)同士のつながり(ネットワーク)が存在し,そのことが,そのレベルにおける個の形状や役割に影響を与えたり,上位レベルの個を生み出したりているわけです。最近は,このようないろいろなレベルにおけるネットワークに共通した性質というものを解明する試みが流行っています。科学では節約的な説明が歓迎されますし,様々なレベルの事象が,ある特定の理論で説明できるのであれば,それはかなり興味深いものとなるでしょう。
 
 となると,やはり次に知りたくなるのは,レベル間の違いです。もちろんこのようなネットワークの共通性が取りざたされる前から,それぞれのレベルにおける研究はなされてきたわけですが,ネットワークの考え方を導入した上で,レベル間の共通性を仕分けし,違いとして残っていくものが何であるのかについての知見を整理することは,新たな知見を生み出す上でも重要な作業であると思えます。
 
 もちろん私は現在,その違いが何なのかに関して,確信を持てる答えは持ちあわせていません。短絡的には,個としての役割の違いや能力の違い,システムとしての目的,などが違うように見えますが,それも突き詰めれていけば,大した違いではないような気がします。
 例えば私は,人の脳の前頭前野内側部には,社会の中で行動を選択し生きていくために必要な,行動選択の基準となるような情報(自分についての知識や,道徳など)が表象されていると考えています。この行動選択の基準は上位レベルのネットワークである社会が複雑なほど,必要になってくる表象であり,ヒトという動物でもっとも発達しているのではないかと私は考えています。しかし,これも単に,上位レベルからみたときには,役割分担を実現するための「個体の形状」にすぎません。細胞内のシステム(ネットワーク)においては,高分子の「形状」によって役割分担がなされているわけで,その高分子の形状と行動選択の基準とは,存在意義としての違いがないとも言えます。

 何にしろ,レベル間の共通性や違いが明らかになることにより,未知の下層や上層についての有益な予測が生み出される可能性を思うと少しワクワクします。きっとそんなの,ずいぶん先の話になるんでしょうけど。。。(^^;)

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