心中寫 (2007/7)

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2007/07/18(wed)



上杉謙信公家訓16ヶ条 「宝在心」

一、心に物なき時は心広く体泰なり
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
一、心に欲なき時は義理を行う
一、心に私なき時は疑うことなし
一、心に驕りなき時は人を教う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
一、心に邪見なき時は人を育つる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
一、心に堪忍ある時は事を調う
一、心に曇りなき時は心静かなり
一、心に勇みある時は悔やむことなし
一、心賤しからざる時は願い好まず
一、心に孝行ある時は忠節厚し
一、心に自慢なき時は人の善を知り
一、心に迷いなき時は人を咎めず

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すばらしい。
「心に誤りなき時は人を畏れず」は特に,
今の私に必要な言葉かもしれません。

生きるために世間の基準にさらされ続けると
目指すべき姿を見失いがちですよね

2007/07/16(mon)



私は時々,身の丈に合わない夢を描いてしまうことがあります。

瞬間の楽しさの後の苦み...

現実に歩んでいる道の先にある夢であればこその苦みなのだと思えば,
それはそれでよいものではありますが...

2007/07/15(sun)



 論文にしろ日々の会話にしろ,張りぼてで自分を大きく見せようとしたところで,その裏側を知るくらいの力は,大概の人が持っている。本当に評価してもらうべき能力のある人からすれば特にみえみえだろう。

そのような行為はむしろ,自分が小さいことをひけらかしてしまっているようなものだ。特に私はその辺が不器用。バレバレだ。
万が一,うまくいくことがあっても,それは自分で自分を勘違いして道を誤る原因を作ってしまっているようなもんだ。その勘違いによる自信は,可能性を信じることによる自信とは別物だ。一時の自己満足のために,成長の目を摘む必要は無かろう。

ありのままで評価されないのであればそれはそれで仕方がない。それが現状なのだから。それを踏まえて進めばいい。うん。

2007/07/15(sun)



 自分にだけ向けていればいい言葉ってのが存在します。

以前にも書きましたが,この気まぐれな日記のページは基本的に,そのような言葉を書き留めておくためのものです。

最近,忙しいからと自分に言い訳をして日記の更新をしてこなかったのは多分,そういった言葉を意識して生活できていなかったためなんだろうなぁと思う。まぁ今年の目標は去年よりはエネルギッシュに動くってことなので,そんなこと考えずに動いていればいい,って気もしないでもない。

でも,頭が良いわけではない私がこの世界で生きていくには,ニッチの開拓しかないわけで,そのためには自分や世界についての洞察力・センスを磨かねばならんわけです。他の研究者と同じ視点しかもてなくなった時点でおまんま没収です。当たり前に適応していればよいところでも敢えて歩みをゆるめて慎重に足を進めることさえ必要なのです。組織に求められたにせよ,自分で決めたにせよ,ある程度道の決まった作業をこなすだけの生活に慣れてしまわぬように気をつけなければならんのですよ。

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